今すぐここから逃げ出したい、解放されたい……!
最近、そんなことばかり考えている気がします。コロナ禍でちょっと病み始めているのかも。そんなときに、荒木哲郎監督のオリジナルアニメ『バブル』を観たんです。
突如として降り注いだ謎の泡によって重力が破壊された東京を舞台に、パルクールをする人々の物語。まるで、コロナで様相を変えた東京のなかで、心だけは自由になりたいと懸命にもがく私たちみたいだと思いました。まさに、時代を反映している、風刺作品だ、って。
でも、『バブル』はコロナ禍前に動き出した企画であって、コロナとの接点はないに等しいらしいんですね。だったら、なんでこんなに心に響く作品になったのでしょう? そもそも、『DEATH NOTE』や『進撃の巨人』など、刺激的な映像を得意とする荒木哲郎監督がなぜ泡が降り注ぐファンシー世界を舞台にしたアクションラブストーリーを作ることになったのでしょう?
気になることがたくさん出てきたので、この疑問を失礼覚悟で荒木監督にぶつけてきましたよ。

"爽快感"を欲して
──『バブル』にはどのようなテーマや思いを込めましたか。
荒木哲郎監督(以降荒木監督):はっきりとしたテーマらしきものというよりは、こういう時代だからこそ爽快で、見ていて気持ちいいものを作りたかったのです。
気持ちよく映画館を出て行ける、そんな作品を私自身が欲していたんですね。強いていうならばそれがテーマでしょうか。
──「こういう時代だからこそ」という言い方をするとコロナ禍を連想する人が多いと思いますが、この企画が始まったのはコロナ禍より前ですよね。制作当時は、爽快感を欲する時代だったでしょうか。
荒木監督:僕は求めていました。
これは巡り合わせなのかもしれません。これまで自分は10年以上、ハード路線の作品ばかり作ってきました。正直いうと、それに少し疲れ気味だったのだと思います。だから、明るくて爽やかで華やかなものを作りたいと思っていたんです。

──「爽やかな作品が作りたい」と言ったときに、周囲から反対意見や戸惑いみたいなものはありましたか。
荒木監督:意外とありませんでした。というか、企画・プロデューサーの川村元気さんが自分に「青春ラブストーリーはどうですか」と話を振ってくれたんです。
そう言ってくれる人がなかなか現れなかったので、自分は喜んでその提案に乗りました。川村さんは、みんなと同じものをお願いするのはつまらないと思っている方なんでしょう。
その人から出てこなさそうなお題を与えるというか、ポテンシャルを引き出すというか……。自分もまさにそういうものを作りたかったときだったし、やれるはずだと思っていました。だから、「是非!」と。
──そこで『にんぎょ姫』を作った、と。爽やかな青春恋愛ストーリーに、自己犠牲の『にんぎょ姫』を組み合わせたのはなぜですか。
荒木監督:ラブストーリーをやるというのは最初から決まっていたのですが、それでも不憫さや悲しみが多少あった方が作品に重みをつけやすいと思っていたんです。
明るく楽しい作品がやりたいと言いながらも、話の根っこには自分が感情移入できるものがないとやりづらいですから。それと、もう一つ、『バブル』の客層は幼稚園の子どもから高齢者までを想定しています。世代を超えてしっかり届けたいと思ったときに、普遍性のある『にんぎょ姫』が出てきたわけです。

──『にんぎょ姫』はデンマークの童話ですが、なぜ舞台を東京に?
荒木監督:日本で公開する映画として、見る人のフックを増やすためにです。見覚えがある、もしくは体験としてその場所を知っていると、より感情移入の深度が深まる ので。
でも、東京は東京だけど、重力は壊れていて廃墟になっている。誰もが知っているけれど、知らない場所……異化効果というのでしょうか。
──『バブル』の制作期間中にコロナ禍に突入しました。世の中の変化は作品に反映されましたか。
荒木監督:本作は現代風刺ではないので、気にしていませんでした。ただ、コロナ禍が影響を与えたことはあります。
製作中は緊急事態宣言下だったので、自宅に閉じこもってひとりで絵コンテを描いていました。外出するといえば、犬の散歩で石神井公園に行くくらい。散歩中の景色が強烈に印象に残り、自然とフィルムに反映されていきました。
映画に出てくるカモやサギなどのトリたち、草花は、5月くらいの、緊急事態宣言下に公園を歩いていたからこその描写です。きっと自分にしかわからないと思うのですが、そのときの景色が自分の中でフリーズドライされたような……。
結果的に、それらの草花や生き物の姿が劇中の大事なシーンに繋がっていきました。絵的に映える感動的な奇跡が起こらないとダメだって思っていたところに、前半で挿入した生き物の描写が結果的に布石として生きることになった。ある種の巡り合わせというか、不思議な力を感じましたね。
──スタジオで書いていたらそうはならなかった?
荒木監督:植物や生き物への目線は、そこまで映画の中に反映されることはなかったでしょう。
だって、シナリオにはそんなこと書いていないのだから必要ないですよね。必要ないのに、私が散歩しながら心を動かされたから入れちゃっただけなんです。それが結果的に映画のバランスを作る大きなきっかけになりました。
パルクールプレイヤーお墨付きのパルクールアクション

──パルクールの動きは、非常にスピード感がありました。疾走感を出すためにどんな工夫をしましたか。
荒木監督:そもそもガチガチのパルクールをアニメ化すること自体が挑戦でした。
というのも、パルクールの動きを嘘にしてしまうと、舞台も人も嘘になってしまって、とっ散らかってしまうと思ったのです。だから、動作はリアルにしないといけないと思っていました。
パルクールの動きは、プロパルクールプレイヤーのZENさんの動きを参考にしています。それと、世界中のパルクール映像を見て、具体的な動きをひとまとめに静止画キャプチャーして参考として現場で共有しました。地道な作業を繰り返すことにより、動作にリアリティが出て、ZENさんにもお墨付きをもらいました。
──あの動きがリアルだとは驚きです。正直、重力の力を借りているからこそのデフォルメの動きだと思っていました。
荒木監督:本当にすごいですよね。自分も驚いたので、ZENさんにもいろいろと話を伺ったのです。「怖くないのですか」と質問したら、「怖いか怖くないかで言ったら怖いに決まっている」というんですよ。
でも、自分が確実にやれる動作だけをやっているし、絶対に失敗しない動作を確実に増やしていくことで可能にしているのだ、と。その結果、命知らずのようなことをやっているように見えるそうなんです。
たとえば、高層ビルの鉄骨の上を平然と渡っているようなときでも、その幅の鉄骨をどれくらいの風の中でなら歩くことができるか、と考えるそう。高さが1mか60mかの差はあれど、確実にその幅の鉄骨を歩けるかどうかが問題で。ZENさんの本を読んだり、実際に話を聞く中で、突拍子もないことをしているようにみえても理詰めで理知的な行ないの反復であると理解しました。
だから、『バブル』の主人公たちも、決して命知らずな連中じゃないんです。だから作品の中でも「もっと怖がれ」というセリフを言わせました。恐怖を知らないと、命を落とす無謀なプレーをしてしまうから。これはZENさんの著書「FLY」に書かれている言葉でもあります。
パルクールとアニメ制作の共通点

──確実にできることを増やしていく、というのはパルクールにも限らずな気がします。監督は、監督業の中で同じようなことを感じますか?
荒木監督:たとえば、『バブル』でいうと、挑戦の部分と、実績の継承の部分があります。パルクールのアクションシーンは、『進撃の巨人』の立体機動の動きを1段階発展させたものです。応用としての描写だから、挑戦的に見えるようで、やれるとわかっているから、自分にとって難しいことではありませんでした。
一方で、カラフルで華やかな画面を作ることは、自分がこれまでやってこなかったことだから挑戦でした。その点では、パルクールもアニメ作りも共通するものがあるかもしれません。
『バブル』における泡と既視感

──『バブル』には泡がでてきますが、現代版『にんぎょ姫』であるなら、なぜ泡に異なる性格を与えたのでしょうか? 童話の『にんぎょ姫』における泡は泡であって、そこに敵味方もなかったですよね。
荒木監督:話の流れで、敵と味方を存在させないといけなくなったんです。
そして、ストーリーの構成上、ウタは自分が習った言葉しか話せない設定でした。『にんぎょ姫』の童話を読んで得たボキャブラリーの中から、泡、つまり自分を連れ戻しにきた知的生命体の母集団を見たときに「姉様」という言葉が出たんですね。
「姉様」のデザインを決めるのは大変でした。タコのような化け物とかいろんな案が出ましたが、最終的にしっくりきたのが沸騰する鍋でした。化け物の姿より、普段目にしているけれど威圧的に感じられるものがちょうどよかったんです。ドラム式洗濯機の窓から見える泡の上昇とか、「既視感を掠めるデザイン」というのは作品全体に使われています。
デザインだけにとどまりません。ウタのハミングの呼びかけは、学校のチャイムをアレンジしたものなんです。みんなが聞いたことも見たこともないものだけど、実はどこかで目にしているというのがこの映画における正解だろう、と。
両思いのヒビキとウタを悲恋にする方法

──アンデルセンの『にんぎょ姫』は結ばれないふたりを描いたものですが、『バブル』のヒビキとウタは両思いですよね。なんで添い遂げるという結末にしなかったのですか?
荒木監督:たしかに両思いです。でも、最初から悲恋にする計画だったので。展開としては、ウタだけ若さを保ってヒビキは年老いていくこともできました。でも、それは味気ないなと思ったんです。
マコト(VO:広瀬アリス)という科学者のキャラクターを恋敵にしてウタを追い出すという流れもアイディアのひとつとして出てきました。でも、意地悪とか恋敵とかそういうのではなく、誰のせいでもないけど結ばれないという展開にしたくて。
シナリオが書き進められていくうちに、WIT STUDIOの設定や文芸をやっている河口さんという方が、「触れないというのはどうでしょう。触れないのはきついですよ」と言ったんです。これは「よく思いついてくれた!」と思いましたね。作品の方向性を決める要になりました。これがなかったら映画は完成しなかった、というくらい。
「自分がやるべきことはこれだと思った」

──最後に、監督がもっとも力を入れたシーンをお聞かせください。
荒木監督:力を入れたのはもちろんですが、思い出深いし、閃いたときは「これだ!」と思ったのは、ヒビキとウタが「浮島」と呼ばれる花畑みたいなビルの屋上にいってパルクールのダンスをする場面です。ふたりの思いが通じ合う大切なシーンな場面で、その喜びを躍動やアクションで表現するっていうのをやってみたくなったんです。自分が得意とするアクション描写とラブストーリーを組み合わせてみたいって。
それができたときは、すごく手応えを感じました。「あぁ、これが自分がやりたかったことだったんだ。今回の仕事で自分がやるべきことはこれだったんだ」と実感できました。嬉しかったですね。美しく悲しい爽快ラブストーリーを作ろうといっても、本当に自分がやれるんだろうかという不安がなかったわけじゃありません。絵コンテを完成させないと、確信が持てないと思っていたんです。
このシーンが自分の手から生まれたことで安堵したんです。「自分はやれる。アクションで培った経験をいかしたラブストーリーを作れる」って。そこから軌道にのったので、あのシーンは自分にとっての道標と言えるでしょう。とってもお気に入りです。鑑賞するときには、そこにも注目してほしいです。
『バブル』はNetflixと劇場の両方で鑑賞可能ですが、筆者の個人的な意見としては劇場で楽しんでもらいたいです。背景の細かな描き込みや、画面狭しと飛び回るパルクールプレイヤーの動きを堪能できるのは大画面だからこそだと思うので。観賞後はきっと爽やかな気持ちになれると思います。
劇場版:2022年5月13日(金)全国公開
Netflix版:全世界配信中
Source: 映画『バブル』オフィシャルサイト