最近面白かった動画。
「現実がシミュレーションじゃないとどうして言い切れる?」という疑問を出発点に古今東西の哲学をダーーーーッと見て最後は…というものです。長いけど、ボーッと見てしまいました。このエージェント・スミスのような北欧訛りのせいなんでしょうか。
触りのところだけ紹介すると…
映画「マトリックス」で主人公のネオはモーフィアスが差し出す2つの錠剤、赤(絶対真理)と青(虚構)から赤を選んだ。しかしそれが絶対真理だという証拠はどこにあるのか? 実は青の方が現実で、赤はシミュレーションの一部ということだってあり得る。シミュレーションの中のシミュレーションの中のシミュレーション。
…ということだってあり得るのに。
同じことは中国の荘子も「胡蝶の夢」で説いた。「蝶になる夢から目覚めた自分。今の自分が蝶の夢でないとどうして言い切れるのだ?」と。ギリシャのプラトンも「洞窟のイデア」でこう説いている。
プラトンは、「洞窟の比喩」のなかで、ソクラテスの口を借り、人というのは、生まれたときから洞窟の底で手かせ、足かせ、首輪をつけられ、後ろを振り返ることもできず、前方を見たままの状態で固定された囚人のようなものだと言った。
囚人の背後には火が燃えていて、その火と囚人のあいだをいろいろな道具や人形が通り過ぎ、それらの影や自分自身の影、他の人びとの影が囚人の前方の壁に、さながら影絵のように映し出される。そのため、人は、影絵のように映し出された影を「真実のもの」だと思い込んでいる。こうした人間は、「無教養」な段階にとどまっているとされる。
ここで、ある人が、自分の束縛を解き、後ろを振り返ったとすれば、自分が「真実のもの」だと思っていたものが、実は火が映し出す影であったと知ることができる。さらに、その人が洞窟を抜けて地上へ出れば、太陽こそがすべてのものの原因(根拠)であると知ることができる。そして、真実を知った者は、自分が知ったことを仲間へ伝え、地上へ連れていこうと、ふたたび洞窟の底へ戻る。
しかし、人びとは、ソクラテスのときと同じように、彼の話を信じないばかりか、彼を捕らえて殺してしまうであろう ―「西洋哲学史のキホン」より
現代人が見ている現実が「洞窟の影」でないとなぜ言い切れるのだ?
という前置きをおいて、シミュレーション仮説に入るわけです。
さて、前置きが異様に長くなりましたが、今、VRゴーグルがネクスト・ビッグ・シングと言われてますけど、あれって仮想現実の中で犯罪犯したら、現実の中で有罪になるんですかね?
今の法律では、ドラッグでとんでるときに人を殺しても「心神喪失で現実と虚構の見境がつかなかった、よって責任能力は問えない」という理屈で減刑を求めたりできますが、それと同じ理屈がVR中の犯罪にも適用されるのかどうか? 考えれば考えるほど、わからなくなりますよね。
2003年にテネシー州の高速道で少年2人がライフルを乱射したのは「グランド・セフト・オート3」の責任だとして、ゲーム開発元と販売元を訴えたジャック・トンプソン氏(弁護士資格を剥奪された弁護士)は論外ですが。
2002年に大家さんのバラバラ死体をゴールデン・ゲート・パークに遺棄したサンフランシスコの男性Vadim Mieseges殺人犯(当時27)は法廷で「マトリックスの世界でやった」と主張、没頭するあまり犯行時は心神喪失状態と認定され責任能力なしということで無罪放免になりました。その後、アメリカでは「マトリックス・ディフェンス」がちょっとしたブームになったこともあります。
今市販されているVR端末は有線なので装着したまま何かをするのは考えにくいとしても、将来はそれさえもなくなると言われています。実際問題、これからどうなるんでしょうね?
source: LEMMiNO, 西洋哲学史のキホン, Inverse
(satomi)